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あれこれとカウンセリングのことを考えるブログです。
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こんばんわ。

カウンセラーとしての器はどのようにして推し量ればよいのでしょうか。器の小さなカウンセラーとか、大きなカウンセラーとか、何を基準にすれば知ることができるのでしょうか。

カウンセラーとしてのキャリアを積み、いろいろな同業者と交流するうちに、カウンセラーの器って何なんだろうと考えさせられることがあります。もちろん私自身を含めてですが、カウンセリングの仕事を離れた別モードのカウンセラーたちと交流することで、器のことをいろいろと考えてしまうのです。

カウンセラーとしての器は、人としての器とイコールであると、以前は単純にそう考えていました。カウンセラーはいわゆる人格者なのだと。しかし、仕事を離れると、つまりカウンセリング・モードを離れると、カウンセラーたちは普通の人間なのです。怒りも、喜びも、悲しみも、もしかすると嫉妬もある、普通の人間なのです。

そんな普通の人間が、悩める人たちの話に耳を傾けることができるのでしょうか。

ニーチェだったか、超人という言葉があります。私たちウンセラーは、そのような超人ではないようです。おそらく、初心のカウンセラーや、心理相談を求めるクライエントは、カウンセラーが超人のように見えてしまうのかもしれませんが。

それは幻想でしょう。

何人か、カリスマ的な、日本を代表するカウンセラーと言葉を交わしたことがあります。彼ら、彼女らは、血の通った人間でした。人としての器までは判断できません。しかし、カウンセラーとしての器は、その著書や講演などを介して知ったわれわれ同業者には、大きいと認識されています。

カリスマ、幻想、・・・・。

カウンセラーは普通の人間です。そのような人間が、他人の話に耳を傾けるのです。カウンセリング・モードを離れた、人としての器は定かではありません。けれども、職業として人の話を聞く際には、つまりそのモードに入ったときには、一定レベルの傾聴ができるようです。(そう願っている)

カウンセラーとしての適性について、いろいろな人が、いろいろなことを言っています。あの人はいいとか、この人は向いていないとか、そんなことも含めてです。自分のことを棚に上げてでなければ、適性については語れないでしょう。カウンセラーとしての適性とは何か、器とは何か、改めて考えてみる必要があるのかもしれません。

論旨不明の内容であったかもしれません。これは私が、私自身に向けてつぶやいた独り言です。自分以外の誰かを否定する意図は、もちろんありません。カウンセラーとしての器は人としての器であると考える私にとって、向うにあるゴールはあまりにも遠いです。日暮れて道遠し。

ではまた。

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