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あれこれとカウンセリングのことを考えるブログです。
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こんばんわ。

なんとなくですけど、障害の受容が世間一般に流布してきたという論旨を展開する人がいるようです。まあ、実証的な、立派なリサーチに基づいてですけどね。しかし、本当にそうなのだろうかという疑問をつぶやきたいと思います。

障害、障がい、障碍、いろいろな表記の仕方があります。身体障害とか、精神障害とか。

昔に比べていまの人たちは、こうした障害に対する偏見が少なくなって、受容的側面が拡大してきたのでしょうか。

いろいろなリサーチの仕方があります。インタビューしたり、心理学的な質問紙で調べたりです。けれども、そうしたリサーチによって一定の結果が得られたとしても、その結果にはある偏りがあるように思います。それは、いまも、むかしもそうなのですが、リサーチされる側は、社会的望ましさを念頭において、それに沿うように回答しがちだということです。

障害に対する偏見が昔と比較して少なくなってきたと、定量的に検証され、その結果がいろいろ考察されるとします。もちろん、統計学の助けを借りて、その線では偏見が少なくなり受容が進んできたという結果が出たとしても、果たしてその結果は信頼に値するのでしょうか。

リサーチされる側には、いつの世もバイアスがかかるものです。世間様に対して、あるいはリサーチャーに対して白い目で見られないように、社会的に望ましい線の回答をしようとするわけです。これ、自分は自覚していないはずです。社会生活を送っていると、自然と身についてしまうのですね。

ですから、社会的望ましさとの相関などを常に、同時に、調べる必要があると思います。偏見が少なくなってきたというのは、本当なのでしょうか。私には、なかなか納得できないことです。

カウンセリングの場でクライエントの話に耳を傾けていると、ざっくばらんに障害一般に対する話が出ることがあります。密室ですから、そして社会的望ましさを求められる場ではないですから、極めて本音に近いところが口にされるわけですね。

論旨が不明確になってきました。もとい。

人間の自然な知覚・感覚は、あるものと他のものとの差を弁別するとろからはじまります。これが私たちには逆らうことのできない生理学的メカニズムのように思います。健常者と障害者の違いも、もとをただせば、このあたりから生まれいずるような気がします。でも、教育だとか、文化によって、そのような偏見はなくすこともできるのが人間だと思います。

うーん、こういう例だと理解されるでしょうか。ときとして子どもは残酷ですね。相手にとって酷なことも、自分が感じたまま口にしてしまうことがよくあるのです。でも、大人は違います。相手のことを思いやる心をもつに至るので、心の中では感じていてもそれを口にしないように気をつけるわけです。

障害のあるものと、健常者が、共に生きる社会。たしかに、昔と比較するとかなり現実化されたような気がします。しかし、まだまだのような気がします。障害をもつ人たちの話に耳を傾けると、やはりこの健常者中心の社会の中で生きるにあたって、様々な度合いの風当たりがあることが理解されるのです。

差別や偏見のない社会は、まだまだこれからです。社会には、まだまだ差別や偏見が闊歩しているような気がします。

ではまた。

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